川上と争えなかった首位打者争い
.315 8本 45打点 7盗塁
【寸評】
1919年2月19日-2008年9月3日 享年89
中日ドラゴンズ(1951-1956)-大洋ホエールズ(1957-1958)
54年日本一時の4番打者。32歳でのコーチ兼任での入団ながら日本シリーズで.364を記録するなど日本一に貢献。55年は.315を記録し激しい打率2位争いを演じるが、首位打者は.338の川上が独走した。引退後、NPB経験者のコーチが認められると母校・名大で元プロのコーチ第1号となった。
パワナンバー 12000 30500 17683
ラインドライブ 対変化球⚪︎
重いバットからライナー性の打球を放つ 特にカーブが得意だった
粘り打ち 選球眼
10試合連続四球を選ぶなどリーグ最多の74四球
ミートA
壮絶な打率争いからの見栄え重視優先 そのかわり晩年の大洋で.161を記録したチャンスと対左投手を厳しめに