ハイディー古賀
.182 0本 0打点 0盗塁
【寸評】
1939年9月3日-
読売ジャイアンツ(1962-1964)-東京ドラゴンズ(1969)-ベネズエラ・マラカイボ(1970-1972)
ボビーロッテ時代に2軍監督を務めていた白髪のダンディーな男性といえば思い出す人もいるだろう。大学受験に失敗し、半年間ホームレス生活をしていた異色の経歴を持ち、近大から巨人に入団。しかし目立った成績を残せず3年で解雇される。渡米しマイナーリーグでプレーするが、怪我により成績が悪化。グローバルリーグの東京ドラゴンズやベネズエラのマラカイボでプレーするが、副業にしていたレストラン経営に失敗して帰国、引退を決意する。帰国後はその経歴を生かし複数球団で通訳や海外スカウトを歴任。ダイエーやロッテの2軍監督も務めた。
パワナンバー 12800 00630 46322
ポジション適性
・大学時代は投手、内外野をかねる万能野手だった。
・プロ入り時は投手だったが、怪我もあり外野手に転向。
・マイナー時代は投手としてプレーした。
・内野については情報が無かったために花形ポジションの遊撃手に。
投手能力
変化球
カーブ、シュート、アメリカ仕込みのチェンジアップ。今回は海外感のあるサークルチェンジに。
基礎能力
速球派だったとのことだが流石に140後半は出ていなかったと思う。怪我補正で142に
コンスタはルーキーぽい能力に
ノビE
プロ入り時にアンダーの変則中継ぎ転向を命じられ負傷する。怪我の影響+ある程度能力があったらアンダー転向とかは無かったと思う。
根性
海外で頑張ってたし
一発 軽い球
海外補正。海外基準からするとそうかなぁ。
対ピンチ ケガしにくさ
3A昇格まであと一歩のところで怪我
野手能力
基礎能力
打率こそ伴わなかったが(11-2)とそもそもの起用数が少ない。大学時代は6割近く打ってたし、国松らとのポジション争いに参加できていた。(まぁ新人の柴田に追いやられたけど)。よって有る程度の能力に。ただし悪くいえば長所がないような能力に(足とかがあれば1軍での起用も少しはあっただろうと仮定)。
チャンス、対左投手、盗塁、走塁
基礎能力を上げた分、何か使いづらそうな能力に。
オマケ
ちょっとは似ている?